アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

アルコール依存症で脳の萎縮・・・

以前、たまたま同じようにアルコール依存の疑い?のある家族の方の話を聞く機会がありました。

 

その方がおっしゃっていたことで、「アルコールを飲み続けると、脳が萎縮するらしい。それが心配で!」としきりに言っていたことがすごく心に残りました。

 

というのも、どこか心の中で、その人のこと「なんか、いいなー。」って思っている自分がいたんです。

 

夫のアルコール依存症を認め、私の無力を認めて以降、(私の無力を認めたのは、「死」を受け入れて、私は無力を認めた - アルコール依存症の夫を持つ妻Noutiのブログ)アルコールに対して理性で考えることをやめました。

 

アルコールが体に与える影響だとか、そんなことを考えるの一切やめました。考えても、知っても落ち込むだけだからです。

 

だから、「そりゃ、脳に影響は出るだろうけれど、そういう影響が出ることを心配できる(気持ち)って、なんだかいいな。」って思ってしまったんです。

 

私は、もはや、「(アルコール依存症が)生きているだけですごい!」くらいの感覚になっていたから。

 

なんだろう。

 

日本で、みんなワキ毛の処理だとか、美容整形だとかに一生懸命になっていて、私は、今晩のおかずになるうさぎを仕留めた、今日は肉が食べられる・・・ことに一生懸命になって喜んでいる感じ?

 

たとえがおかし過ぎるかもしれませんが、でも、こんな感じです。

要は、脳の萎縮だとか云々は、もうどこかおまけみたいなことのように感じてしまっているんですね。

 

アルコール依存症そのものは、毎日死を近づけるような行為であることは間違いありません。

 

それを周りがああだこうだ言ってどうなるか・・・、私はどうにもならないに至りました。そこに至ったてことは私の中で「死」を受け入れちゃったんですね。だから、脳の問題とか、認知の問題とか、どこか贅沢な悩みに見えちゃったんだなと思います。

 

正論を言ったって、どうにもならないのがこの依存症。

 

万引き依存症の人に、万引きはよくないよ、社会的信頼をなくすよとか、

タバコ依存症の人に、肺がんになるよとか、

言ったて、意味ないのと同じ。

 

言っても仕方のない正論を、持ち出すことは、かえってお互いが傷つく。

 

そんな中で、当たり前の正論すら、捨ててしまった自分。

 

アルコール依存症に無力になれて、私自身の人生を歩めるようになったことには、心から感謝しています。

 

でも、人間は弱い。

本当に、本当に、私はこの病気に対する自分の負けを認めたんだなって改めて思うと、やっぱりどこか寂しい気持ちが出てきたのか、それが「いいなー」に隠された思いなんだろうな・・・なんて思います。

 

そういう意味では、まだ執着している部分があるんだろうな。

 

日々、学びながら成長です。

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