家族をリアルに殴るアルコール依存症者
今回のテーマは、正直なところ、書くのに気が重いテーマです。
でも、アルコール依存症の家族にとって、少なからず起こりうること。
それが身体的暴力。
あー、アルコール依存って本当に悪の習慣なんだって、分かる瞬間がここ。
色々なことに目をつむってきても、絶対的なバツを認めざるを得ないのが、これ。
暴力。
暴言。
もう、弁護も、弁解もしようにない。
アルコール依存症者が怒っている、怒ってしまった時に起きてしまう。
私も経験しました。
アルコール依存症者に酒が入っていても、入っていなくても、口論をしているうちに、怒り出し、ことは起きます。
いつも、時限爆弾を抱えているみたいなものだから、起きない日常は、ある意味、セーフであって、いつ起きてもおかしくないのが、アルコール依存症者。
誰でも、そうだけど、。怒っている時は、本当に鬼の形相。多分、私もむっさい顔をしているんだろうけど、アルコール依存症の表情は、びっくりするくらい怖い顔をしています。
でも、余計そう思ってしまわざるを得ない。だって、これ、普通の喧嘩や口論じゃないから。お酒付きの喧嘩の恐ろしさは、シラフの取っ組み合いより、何段階もレベルが上がる。
シラフだったら、自分の家族が狂人に殺された、傷つけられたりしたら、出てくる怒りのレベルが、ちょーささいなことに対して、どーでもいいようなことに対して、いきなりびっくりするくらいの怒りが出てくる感じ。
一言、普通に怖い。夫とか、妻とか、家族とか、もうそういうレベル超えて、SOSレベルに怖い。
彼らが怒っている時、最終ゴールは「死」です。
えっ?
そんな大げさな。と思うかも。
もしくは、彼・彼女はアルコール依存症でも、そこまではいっていないと思うかも。
でも、これはあくまでも最終ゴール。最終ゴールというのは、向かって行く先です。
どこに矢印が向いているかということです。どこに矢印が向いているのか見謝ると、間違った選択をします。
アルコール依存症者の行き着く先は、「死」。紛れもなく。向かって行く先は「死」です。破滅です。
身体的な破滅は、あえて言うまでもないです。
そして、精神的な破滅においても、ここでもかと心を嚙み砕き、人間を破壊させます。
彼らの嘘や怒り、騙しや暴言・・・長年の“アルコール漬け”によって、様々な症状が出てきますが、それは全て、「死」に矛先向いていて、様々な「悪」の症状は、その過程として出てきているだけです。
アルコール依存症者が怒りの行動によって荒れ狂う時は、悪そのものです。彼らが飲んでいない時が、どうであれ、その時起きてる「悪」は「悪」です。
人格が壊れつつあります。
もちろん、完全には壊れていないから、死んではいないんです。
生きているということは、まだ、死んではいないんです。
アルコール依存症者は、当然、理性もあります。「生きたい」という気持ちもあります。わずかばかりであろうが、希望もあります。家族への愛もあります。
微塵もない見えないように見えて、あります。
沈みかかった船で、絶望の中、壊れてしまった人格の中にも、不思議と生きている以上、よきものは残っているんです。
逆にいえば、だから対立しているんです。
本人は、自分に情けなくてたまらないんです。そして批判する家族が憎くてたまらないんです。わずかでも家族側の汚点を、過失を見つけなくては、やっていけないんです。
情けないとか、呆れる、とかそんな傍観できるレベルじゃないほど、壊れてしまっているんです。
でも、
でも、
目の前でことが起きているのであれば、
ここで、同情してなんていられません。
だって、悪は、悪だから。過去がどうであれ、未来がどうであれ、今この瞬間、悪は悪。
ただちに自己防衛です。
彼・彼女は、一歩間違えれば、凶器にすらなりかねません。
もしその手が一歩でも、顔に当たり、投げつけられた反動で、床や壁に倒れたら、
「それでも、この病気で彼らも苦しんでいる・・・」なんてことを言ってる場合じゃない。
それでも、「力半減だったから、かすり傷一つなかった。」
それでも、「本当は愛しているから、ただの青あざで済んだ。」なんて、言ってる場合じゃない。
すぐにやるべきことは、今すぐ、先一晩か、二晩の必要なものだけを持って、その場から出ること。
悪から離れること。悪に対して、思いっきりNoを出すこと。まさか、殴り返して自分も同じ悪をするなら、まさに地獄に突っ走ることになってしまう。
逃げ場がないなら家から出る。泊まるのところが直前すぎてすぐにでもないのなら、ネットカフェででもどこでもいい。
その一晩戻らないんです。
惨めだとか、結婚した以上助けなくてはとか、逃げているだけじゃないかとか、そんなことは考えない。
ここまでしたら、相手は悪いことをしたと気づくのかだとか、そんな打算的なことももちろん、考えない。考えたところで、潔く裏切られること、何度も経験しました。
「悪」は「悪」なんです。
理由は、彼らの行為が人の人生に傷をつける「悪」だから。
相手がどんな状況であれ、人を叩き、殴り、蹴飛ばし、押し倒すことは、人格ある人間に対し、個人の尊厳を無視した、「悪」な行動!
いつまでも、「悪」に妥協しない。
「悪」に対して、適当に、なあなあにしない。
助けること、そばにいること、手を貸すことだけが「愛」じゃないんです。
時には、助けない愛、離れる愛、手を貸さない愛だって存在するんです。
力と勇気を持って、「悪」に迎合しないでください。
そうすると、段々とアルコール依存症の支配が自分の身体から抜けていくのが分かります。
大きなことを考えるのは、これからゆっくり、慎重にやっていけばいい。
まずは一晩だけ、お金がもったいなかろうが、プライドが許さなかろうが、理由は何であっても、身体的暴力を受けたなら、そこから出て、悪と対峙する。
中途半端にOKしない。
そうじゃないと、いつまでもアルコール依存症のカモになり続けることになるから。
誰一人、個人の尊厳を無視した扱いを受けるに値する人はいません。
誰一人。