アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

幸せに精神的なタフさは必須

今回は、アルコール依存症者と向き合う時の気持ちの持ちようについて書きます。

 

まず、単刀直入に。アルコール依存症者と一緒に生活するためには、精神的にめちゃくちゃ強くならなきゃいけないです。タフさが求められます。筋トレでいうなら、お腹が割れているような強さです。

 

弾がぶつかっても、ちょっとくらいで傷つきません。傷つくどころか、跳ね返って、床に落ちる強さです。

 

こういう筋肉をにつけていないと、ぐさりぐさりと全部胸に弾を突き刺さってしまい、破壊してしまいます。

 

アルコール依存症の場合、普通の悩みと違うのは、「〜があって、こういうことをされた」の〜にあたる部分が非常に理不尽なことが多いということです。

 

言葉は悪いですが、相手は精神疾患です。

 

ある怒りっぽい人が、妻に怒鳴った、嫌味を言った、机をひっくり返した、壁を蹴った・・・そんなことがあっても、もしその人がアルコール依存症でないなら、大抵理由はわかります。

 

あ、あのことで、自分にイライラしているんだなとか、自分が言ったこの言葉にムカついたんだなとか・・・。

 

理由がわかるっていうことはある意味すごく救いなんです。

 

人はそう言われる筋合いがないのに、その理由がよくわからないのに、言われたり、やらされたりすることは苦痛でしかないんです。

 

アルコール依存症は慢性的な病気です。

 

本人の中に、心の傷が土台になっちゃっているんです。だから、「えっ?なんでこんなことに?」「いきなり、何突然?」なんてことはしょっちゅう、起きます。

 

土台自体が常に緊張と不安状態だから、ちょっとしたことが琴線に触れれば、すぐに普通では考えられないほど反応してしまう・・・これがアルコール依存症者の恐ろしい行動の一つなんです。

 

確かに大変です。

 

でも、24時間毎日毎分ではないです。

 

確かに繰り返されますが、それでも精神的なタフさを身につけるには、理不尽なことをされた時、言われる筋合いのないことを言われた時、こんな小さなことでなんで?というようなことをされた時・・・すぐに自分自身の心をシャットダウンして、「悲しい」「辛い」「ひどい」「悔しい」などと思わないことです。

 

これらの感情を受け入れることは、弾を胸につき刺すことです。そうじゃなくて、しばらくじっとして、歯の嚙みしめをほどいて、それでも静かに過ぎていく時に集中して、日々変化していること、嵐の中でも楽しいことを見つようと、意図的に自分を仕向けます。

 

それが、結果的には、six packのような硬い胸板になって、弾が胸に当たろうが、落ちて床を転がっていくんです。

 

私は、夫がいきなり暴れ始めて、机がひっくり返り、机の上に置いてあったものが、全部落ちて、ベランダのサッシにぶつかり、ガラスが割れ、そしてものが投げられ、ドアに穴が開けられ、体重計が床に投げつけられたときは、これらがほぼ一瞬のうちに起き、本当に家の中がくちゃくちゃになりました。

 

それでも、その1時間後には、すでに予定していたクリスマスの食事の試食会を変更せずに参加して、ローストビーフやら、ピザやら、ケーキやら食べていました。

 

帰ってきたら、やっぱり同じように、粉々になっている窓ガラスを見るのは、悲しいし、涙は止まれと言ってもいうことを聞きません。

けれど、そこで悲しいと思うじゃなくて、机の上にものを山積みにしたり(これ、全部私のものだったんです。)するのをやめようと、真剣に片付けを進めました。

 

家のなかがものすごく片付き始めました。出したものは元に戻すを徹底するようになりました。何十年間も適当にしていたツケをここで全部清算し始めたようです。ずっと身につかなかった習慣がつき始めました。

 

家中、傷だらけになったけれど、でも、「(荒れ狂っている時に、)私の体には、彼は1ミリたりとも触れなかった」ということに感謝しました。

 

壁の傷も、粉々のガラスも、所詮モノです。モノは傷ついても、心がありません。でも、人の心だけは傷ついてしまうと、本当になかなかとれません。

 

アルコール依存症者との同居は決して簡単なものではないかもしれないけれど、自分が強い心を作っていけば、目の前にある幸せにどんどん気づけるようになります。

 

日常にある些細なことに、どれだけ幸せを見いだせるかが、幸せをたくさん感じていく秘訣です。

 

幸せな人生も、不幸な人生もありません。

自分が置かれている状況のなかで、幸せを見出すこと、それが各々の状況で置かれた役割です。

 

そして、その幸せを見出すことには、どうしても精神的なタフさが必須なんです。それがないと人はすぐに都合よく、欠乏を訴えたり、欲に走ったり、自己憐憫や、自己蔑視したりします。

 

そういう意味では、アルコール依存症の家族は強制的に精神的なタフさを身につけるジムに通っているんです。

正しく向き合えば、自分にそして周りに何倍にも幸せをもたらす力を身につけることができます。

 

目の前の悲惨な光景に集中するのではなく、アルコール依存症者を鏡にして、私自身も自分の変えなくてはならない性格をどんどん変えられる機会を与えられていること、困難や試練に強くなるタフな精神の筋肉が作られていることに注目するとき、ふっと肩の荷がおりて、感謝の気持ちが湧いてきます。