離婚が問題解決にはならない理由
アルコール依存症者の人を夫、もしくは妻に持っている人は、一度くらいは「離婚」を考えたことがあると思います。
Noutiももちろん例外ではありません。
アルコール依存症とは、精神の病であり、そして家族全員を巻き込む病です。一緒に生活しているだけで、平常心を失うなんてことは容易に起きます。
だから、配偶者の立場の人は、その関係を見直すべく、「離婚」という選択肢を検討することは、いたって普通のことです。
今回は、この「離婚」について触れつつ、離婚が問題解決にならない理由について書いていきます。
離婚についての考え方
まず、誤解がないように明確にしますが、Noutiは決して離婚すべきではないとは思いません。Noutiのスタンスを読んでくださった方は、Noutiは離婚しないんだなと言うことをご存知かもしれません。
でも、これは、Noutiの決断であって、アルコール依存症と関わっている家族は離婚すべきではないとは思わないし、時と場合によっては、本当に離婚した方がいいことも十分にありえる、それくらいの病気です。
ここで大切なことは、離婚すること、しないことそのものじゃなくて、離婚をすることによって問題解決をしようとしたり、離婚をしないことによって、問題解決できずに我慢しよう・・・という見方を持っているのなら、それは違うということです。
配偶者が依存症であって、結婚生活を続けていても、関係性の問題解決はできます。そして、配偶者が依存症で合って、結婚生活をやめたとしても、関係性の問題解決はできない場合もあります。
離婚を、全ての問題を解決してくれる魔法の杖のように思わない方が無難です。
自分は変わらなくても環境は変えられる罠
では、なぜ離婚によって、問題解決しないのでしょうか?
それは、アルコール依存症というのは、「飲まないといけない原因(もしくは目的)があって、飲んでいる」からです。
ちょっとたとえ話をします。
たとえば、貯金が50万円あるとします。そして、20万円の何かを買おうとします。そうすると、貯金が30万円に減ります。
でも、そこで、その人が、20万円分貯金が減ったっていうことは嫌だ、不安だ、心配だとなれば、バイトでもなんでもして、20万円作ろうとします。すると、貯金は70万円になります。
そこで、やったーこれを買うための20万円ができたから、さあ、20万円使おうとなれば、いいですよね。
でも、もしそこで、貯金が70万ある。これが20万円減って、50万円になったら嫌だ、不安だ、心配だとなれば、どうなりますか?
その人は20万円を結局使えないんです。
稼いだのに使わないなんてバカじゃないのと思うかもしれませんが、こういう本当に起きてしまうんです。
ここで言いたいポイントは何かというと、20万円稼ぎに行っても、その人自体に「手元に入ったものは決して減らしたくない」という考え方が残っていれば、結局いつまでたっても思うように行動できず、人生を変化させられないということです。
依存症の例に戻してみましょう。
バイトをして20万円を作ろうと変化を起こすことが、この場合は離婚です。つまり、現状では満足できない。現状のままでは自分らしく行動すらできない。だから、離婚という手段を使って、新たなものを手に入れようとしたり、自分の心配や不安を補おうとするのです。
でも、その人本人は何も変わっていません。同じ人間です。現状のままでどのように幸せを見つけ、どのように満足するかを学んでいません。
そうなると離婚したところで、結局同じように人間関係でトラブルになったり、自分の性格上のことで苦しんだりしてしまうことになります。
人を変えることは手っ取り早いです。確かに、関わる人が変われば、受ける影響は変わってきます。でも、当の本人は何も変わっていないんですね。
そうすると、たとえ非依存症者と再婚したところで、自分のこれまでの同じパターンや、思考パターンを当てはめて、他の相手の人との関係を構築しようとしてしまうのです。
すると、似たような問題が、今度は別の形で出てきます。そして、「どうして、私は再婚して、もっといい人(非依存症者)と結婚したのに、また別の問題で苦しむことになるんだろう?」となってしまうんです。
だから、離婚はあくまで、「関わる人が変える」だけであって、当の自分は変わるかどうかはまた別の問題です。
自分を変えるのは自分だけ
こういう話をすると、「でも、関わる人が変われば、自分にも当然影響があるわけだし、自分も変わる。」と思う人がいます。
これは、甘いです。
何が甘いかというと、この考えは、「私は人によって、変化します、成長します。」と言っているからです。
もちろん、人は互いに影響しあっています。出会った人によって、人生はどんどん変わっていきます。
でも、自分の心の奥深くの部分、つまり、考え方とか行動の仕方というのは、どれだけ関わる人が変わっても、「自分自身で、『私にはこの問題がある。変わろう。』」と思わない限り、外野がどれだけよくなろうが、どれだけ色々なことを教えてもらおうが変わらないのです。
死ぬまで変わらない性格を持つ人が山のようにいる中で、ちょっとやそっと、周囲の関わる人を変えたからといって、自分まで変わる、まして自分の幸せや感情まで変わるほど、甘くありません。
結局変化を起こすのは、自分で心の底から、「自分は問題だ。」と認めることから始まります。
そういう意味では、離婚は、環境を変える手段でしかなくて、自分がそのことによって、幸せになるのか、良き人間関係を持つようになるのか・・・ということは全く別の次元なのです。
Noutiが昔、離婚したいと思った時には、「この人と一緒にいたら、自分がダメになる」という考えから始まって、次第には、「この人にとっても離婚した方が、幸せなのではないのか」と上から目線な見方までしていました。
でも、いずれの場合も、「自分の問題」はかやの外。とにかく、「自分の問題」を変えずして、周囲を変えることに必死になっていました。
これって、結局、アルコール依存症者に対してやっていることと一緒なんですね。「自分はあたかも問題がないかのように、全てを依存症者のせいにして、依存症者を責め、怒り、行き場のないイライラを全てぶつける・・・。」
そうしていても、何も変わらないどころか、更にことを悪化させることを痛いほど学びました。
確かにどうしても離婚が必要な場合はあると思います。お互い相いれず、愛がないのであれば、離婚した方が良いかもしれません。
でも、離婚することは、何も、今抱えている問題を解決するもの鍵にはならず、もっと奥深くに、向き合っていかなくてはならない課題が潜んでいることを知っておくことは離婚して幸せになるためにも、避けて通れないことです。