アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

悲しみをもしないし喜びもしない技術

アルコール依存性の人はアップダウンします。依存性じゃない人が言う感情のジェットコースターなんかと比べ物にならないほど、感情が上下します。

 

人生いいときもあれば、悪いときもあるみたいなことが、1日単位で起きるような感じです。

 

だから、家族はそれにつられて、アップダウンすると大変なことになります。

 

ということで、今回は悲しみもしないし、喜びもしない技術についてです。

何に対して悲しみもしないし喜びもしないのか

悲しみもしないし、喜びもしないなんて書くと、なんだか人間捨てたような気持ちになるかもしれません。

 

無感情で、そんなのつまらないと思うかもしれません。

 

ここで、1つ明確にしたいことがあります。悲しみもしないし喜びもしないのは、アルコール依存性者に対してです。

 

自分自身は悲しみもするし、喜びもします。でもアルコール依存性者に対してはしないということです。もっというなら、アルコールに対してはしないということです。

 

これは、この病気と付き合う上で、かなり重要なポイントになります。

 

もしアルコール依存性者に対して悲しむなら、お酒を飲んで悲しむ、スリップして悲しむ、本当はこんなはずじゃなかったと過去を悔やんで悲しむ…悲しむネタがどれだけでも出てきます。

 

そして、アルコール依存性者に対して喜ぶなら、断酒が成功して喜ぶ、お酒が減って喜ぶ、病院に行ってくれて喜ぶです。

 

これでは、完全にアルコールそのものに囚われています。

そして、アルコールによって一喜一憂しているのでは、感情のコントロールをアルコールに任せるアルコール依存性者と何も変わりません。

動じない心を持つ

アルコール依存性は出てきている症状をアルコールによって抑えているだけです。

 

だから、本人の性格、考え方が変わっていかないと根本解決にはなりません。

 

そして、こういうものは、長い時間をかけて、自分を知り、徐々に変わっていくものです。

 

だから、今日1日、依存性者の機嫌が良かったとか、断酒を宣言してくれた…とかどうでもいいんですね。

 

それは、プロセスの1つでしかありません。それがうまくいったからといって、人生の大きな問題がなくなったわけではないし、依存性が治っても、また別の問題と向き合っていかなくてはなりません。

 

こう書くと、Noutiは何だかとても悲観的な人と思うかもしれませんが、決してそうではありません。

 

むしろ、楽観的に自分の人生を喜んで生きるために、アルコールの囚われから断絶し、アルコールがどう言おうが、悲しみもしないし喜びもしなくなっただけです。

 

困難や試練に強くなるとは、嵐が来ようが、台風が来ようが、動じない心を持つことです。

 

究極、死ぬことすら動じない心を持つことです。当然、Noutiはまたそんなレベルではありません。

 

晴れの日に、晴れが理由で喜んでいたら、嵐になった時にその人は絶対に悲しみます。

 

でも、晴れの日に、自分には命があって、生きていて、生かされていて、今日も与えられた時間があることに喜ぶなら、嵐になった時も、それでも立ち向かう強さが与えられていることを喜ぶはずです。

 

この時もはや、天気はどうでもいいんです。それよりももっと大切なことに目を向けます。

その時は、アルコールはもはやどうでもよく、アルコールによっては、悲しみもしないし、喜びもしないということが実現できるのです。

アルコールはどうでもいい

アルコールはどうでもいいのです。

 

飲んでいてもいなくても、そんなことはどうでもいい。

そうじゃなくて、与えられた人生、どのように生きるのか、何に感謝を見出し、何を愛し、どんな人になるのか…

人生で大切なことは、目の前の状況に一喜一憂することじゃなくて、周りがどうなろうとも、自分の生きている目的を果たし、昨日よりも少しでも成長した自分になること、そしてその歩みを続けていくことだとNoutiは思っています。

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