アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

「愛」=「優しい」じゃない

⬇︎こういう動画(【あなたが中毒について知っていると思っていることは全て間違っている】)を見ると、

 


Everything you think you know about addiction is wrong | Johann Hari

真面目な人は、
「あ〜そうだそうだ!!!」
「私、彼(彼女)をもっと大切にしなきゃ」
とか感じます。

 

ちなみにこの動画の趣旨は、依存症というのは、孤独で、つながり欠如でなっているもの。人とのつながりが回復を助けると言っています。

結構、わかりやすくて、約15分弱の短めの動画なので、時間がある方は見てほしいです。(日本語字幕付き)

 

アルコール依存症者の家族で、アラノンなどの自助グループに行っている人も、独学でアルコール依存症を学んでいる人も、Noutiみたいに、当たって砕けろ的に経験して学んだ人も、みんな通るところ。

それは、「私どうしたらいいんだろう?」ってこと。

 

学び始めた人は、
「どうしたら(アルコール依存症が)治るんだろう?」

の質問が消え去り、

「自分はどうしたらいいんだろう?」

と主体的に考えられるようになる。

これは、まさに学んで、実践して、成長している結果。
他人をどうこうする前に、まずは自分が変わろうとする。

「自分にはできることがないのか?」と真剣に考え始める。

そこで、最初に挙げた動画のような内容を知ると、
めちゃくちゃ真面目な人は、過剰に反応して、
『そうだ!!!愛さなきゃいけないんだ!!!」
『彼(彼女)は孤独で、寂しい思いをしているんだ!!!」
とか思う。

 

基本的に、アルコール依存症に振り回されている時点で、
白黒思考が強い家族だし、
物事を極端に考えがちだから、
今まで思っていたことと真逆の考えを知ったとしても、
また極端に立場を変えたりする。

 

これ、危険。。。。

 

アルコール依存症者は確かに孤独。
惨めだし、酒に酔ってごまかしているだけで、
自分を毎日潰しているようなもの。

泥酔状態では、人間関係は持てないし、
正直、家族の前でも、恥ずかしいくらいの自分を絶えず晒している。

「穴があったら入りたい」ってまさにアルコール依存症者が思っていること。

 

孤独は事実だけれど、じゃあ、彼らには動画の趣旨のように「つながり」が必要だからと言って、家族が「つながり」を持とう、持とうと躍起になれば、必ずこける。

 

「つながる」=「親しみ」=「優しい」=「もっと愛する!!!」
みたいにだんだんなってくる。

 

必ずこけるパターン。

 

というか、共依存逆戻りパターン。

 

まず第一に「自分がどうにかすれば、相手は〇〇になる。」という前提がNG。
あれ〜学んで得た、主体性どこ消えた!?って感じ。

ここで大切なのは、彼らがつながりを求め、正しい人間関係を持てるようになることで、回復を助けることはできるけれど、

せっせと「つながり」をお膳立てしたところで、跳ね返さちゃう。

無理強いは、時にアルコール依存症者を焦らせ、プレッシャーを与え、逆上させるかもしれない。

ということで、

愛することは、「優しくなる」ことじゃない。

これ、すごく大事。

恐らく、愛そう!と思って、優しくなっている人は、人から優しくされることで、自分も「愛されている」と感じてしまっているところがあると思う。

だから、愛のムチとかあんまり理解できないし、成長を助けようと思って、ストレッチしたことを言ってくる人、自分を手放してくれる人をあんまり理解できない。
っていうより、むしろ、傷つく。

 

突き放されたような気持ちになっちゃう。

 

次第に孤独になる。

そこで、何かに依存する。

これって、依存症のパターンと同じだよね。

だから、家族が依存症のパターンと同じになっていたら、共依存

もう一回。

愛する=優しいじゃない。


愛そうと思って、いきなりベタベタしたり、お膳立てしたり、お弁当作り始めたり、夫より早く起きて、準備したり・・・

そういうことじゃない。

やりたいならやってもいいかもしれないけれど、続かない。

だって、愛する目的があるでしょ。この場合。

私が愛することで、依存が治る!?かもっていう。

 

だから、打算的なの。依存症ってそんな生易しいものじゃない。

小手先のスキルでなんとでもなるなら、依存症が依存症にならないし、Noutiのアホみたいな人生の格闘も、マジでNoutiがバカすぎることになっちゃう・・・苦笑。

 

愛=優しいじゃない。

誤解を恐れずストレートに言うなら、
愛=突き放すにもなりうる。

 

補助輪なしで自転車に乗りたい子供のお父さんが、絶えず後ろを持ってあげていることが愛?

確かに転ぶかもしれないし、転んで血が出て、かさぶたになって、痛い思いをするかもしれない。

でも、突き放すよね。

挑戦させるんだよね。

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ここでめちゃくちゃ大切なのは、お父さん、後ろの手を離した直後に、家に帰らないよね。

突き放して、「行っておいでー。」なんて、ならないよね。

 

転ぶか、転ばないか、いけるか、いけないか・・・
わからないけれど、どんなに離れていっても、見守っているよね。

これが愛。

 

優しさなんかじゃない。

そのあとバッターンって転ぶかもしれない。

転んでも、もう手が届かないかもしれない。

でも、突き放す。

 

そして、見守る。

 

つながりって、目に見えるつながりは一時的なもの。
精神を病んだ人の病気が回復するには、心のつながりが必要。

 

それは目に見えないもの。


お弁当を作るのも、良かれと思って何かをしてあげるのもいいけれど、
それが依存症を治すための目的になって、せかせか動いているなら、
裏切られたらやめるくらいのレベルのこと。
だから、最初からやらないほうがいい。

 

愛=優しいなんかじゃない。

愛=厳しいにもなりうるし、
愛=黙るにもなりうるし、
愛=拒否にさえなりうる。

愛っぽい愛なんて、やめよう。