聞くと言うこと
私は、人の話をちゃんと聞く人かと言われれば、正直怪しいところがあると思います。
自分のマイルールで、とにかく「割り込まない」ということだけは徹底しているつもりですが、「割り込まない」だけが、聞いていることになるかといえば、全然そんなことなくて、確かに、割り込んではいないけれど、黙って聞いてはいるけれど、それでも随分と聞いていないなと思うことがあります。
夫に対しては、夫の話を聞きながら、もう次に自分が言いたいことを考えているんですね。頭の中では、次のことしか考えていないから、夫のことを聞いていると言うよりも、むしろ、「待っている」状態なんです。
そう、話が終わるのをただ待っているだけなんですね。
そして、夫が話終えれば、すかさず自分の口を開く自分がいます。
ながら作業は私はよくします。音楽を聴きながら、食器を洗ったり、湯船に浸かりながら映画を見たりします。
歩きながら携帯をいじったりします。食べながら本を読んだりすることもあります。
全くこれと同じように、「聞きながら考える」なんてことをしているんだろうと思います。でも、ながらの時って、〇〇しながら、△△するだとしたら、〇〇に対してはあんまり意識が向いていなくて、結局は△△がメインな気がします。
さっきの例でも、音楽を聴きながら、食器を洗うときは、やはり音楽は補助で、食器洗いがメインなんです。湯船に浸かりながら、映画を見ることは、実は、最近始めたのですが、もう完全に映画がメインになってしまっています。映画というか、ドラマを見ているんですが、1エピソードが終わったタイミングで、湯船から出ていること自体、映画が主導権を握っているのは明らかです。
歩きながら携帯をいじったりと書きましたが、これもやはり、携帯をいじることがメインになってしまっているんですね。危ないから気をつけようと意識はしているけれど、そこを意識しないといけないほどに、携帯に意識が持っていかれている。歩きスマホがダメなのが、よくわかる気がします。
食べながら本を読むもそう。気づいたらびっくりするほどつまんでいたり、お菓子の袋が空っぽになっていたりします。本に意識が向いているから、食べることに気を配っていないのです。
そう考えると、「聞きながら考える」はやっぱり、考えることがメインになっているんだろうなと思います。
だから、結局聞いていない。音声としては受け取っているけれど、ちゃんと自分の胸で受け止めているかと言ったら、全然そうじゃないんですね。
この習慣は、いつから始まったか分からないけれど、おそらく本当に長い間、私の中に染み込んでしまった習慣だと思います。
以前は、頭の切り替えが早い、聞いたことにすぐ受け答えができる、面接なんかでもこの能力は重宝したし、効率的で、スピーディーに思考ができるなんて考えていたこともありました。
でも、聞きながら考えることで、どれほど多くの夫婦のすれ違いを生み出してきたかを思い出されます。夫婦だけでなく、あらゆる人間関係において。
そして、聞きながら考えることで、どれほど多くの素晴らしいことを聞き逃してきたかとも思います。私が十分に心を開いていないばっかりに。
今、私は聞く人になりたいと思います。自分が何か言うために、聞くのではなく、聞きながら考えるのではなく、ただ聞く。
ただ聞く。
ただ聞きたい。そう強く願います。