アルコール依存症者との戦争を放棄
1週間、穏やかに流れました。
穏やかさの基準が、幸か不幸か、だいぶ下がってしまって、
穏やかと言っても、問題が全くなかったわけではありません。
でも、以前と比べると、比べようにならないほど、日常に起きるちょっとした衝突が、取るに足らないものに見え、そして実際に取るに足らないものになり、私自身の心を騒ぎ立てることがなくなりました。
振り返ってみれば、様々な小さなことがありました。
例えば、たまたま私が床においた本に、夫の足が引っかかって、転びそうになったこと。
食事の準備ができたから、慌てて、とりあえずと思って、床に置いてしまった。
その本に夫はつまづいて、よろけたみたい。
アルコール依存症者らしく、「自分の膝を痛めようとしているの?」なんてイヤラシイ嫌味を一言はなっていましたが、気に留めることもしませんでした。
私はもうあらゆる挑発に参戦しません。
あらゆる争いを避けます。
相手が、戦争を仕掛けてこようが、こちらはもともと武力なしですから、無防備なのに手と足を使って、相手をやり込めるなんて愚かなことは考えません。
静かに、その時が流れていくのを待ちます。
負けを認める前に、戦いに参加すること自体を拒みをします。
戦ってもいないのだから、負けではありません。ただの放棄です。
愚かな付き合いに参加することを、放棄します。
アルコール依存症者には、沈黙が時に、力になります。
本人の問題を「自分の問題」と認識させることにつながるからです。
中途半端に、家族側が関わらないんです。下手に手を出して、関わろうとするから、ちょっとしたことに揚げ足を取り上げられ、責任を押し付けらえます。
アルコール依存症者に、「家族のせい」だという言い訳を徹底的に言わせなくするのです。
これが、「家族のせい」でなくなったのなら、自分自身を省みるしかありません。
アルコール依存症者が挑んでくる様々な戦いに防御しようと、知識を蓄えようとしたりとか、武器を身につけようなどとは考えちゃいけません。
ただ、自分は無防備で、無力なことを認めることです。
この病気に対して、無力であることを認められたら、
言われのない理不尽なことに対して、いちいち弁明するのも馬鹿らしくなってきます。相手の間違いを正したり、叱責することがなんの効力もないどころか、ただの愚かな戦いへの「宣戦布告」です。
やめましょう。
エネルギーの無駄遣い。
私はやめました。