アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

私さえこれをすれば…

アルコール依存性の理不尽な要求に慣れてしまうと、争いや無駄な喧嘩を避けるために、「私さえこれをすれば……」という気持ちになることが何度もありました。

 

実際、気持ちだけじゃなくて、その時は本当にそう思っているわけだから、「これをすれば…」の「これ」を真面目に取り組もうとする。

 

でも、もちろん動機は不純。

 

「私さえ、これをすれば」というのは、「私さえ、これをすれば、丸く収まるんでしょ、暴れないんでしょ、とりあえず、穏やかになるんでしょう。」と少なからず相手への期待がこめられている。

 

私がしたいからじゃなくて、そのことで相手がどうなるからっていう。

 

それもそのはず。

 

そもそも「私さえ、これをすれば」という発想は、どこまでも自己犠牲的であって、対価を支払った以上、それなりの見返りを期待してしまうのは人間のサガ。

 

でも、この発想に基本いい見返りなんてない。

 

だって、アルコール依存性者相手に、「私さえ、これをしても」その思惑通りにならないことなんてザラにあるし、そもそも期待通り動いてくれて、±0なんだから、そうじゃなかったら、マイナスのみが残ることになっちゃう。

 

ものすごくハイリスク、ローリターン。

 

なのに、そんな自己犠牲的な発想で行動しようと思い、実際に行動しちゃうから、その結果、ひとたび、うまくいかないと、不満やイライラになる。

 

大体、自己犠牲という時点で嘘が多い。

 

本当は、「これ」をしたくない。本当は、別の「何か」をしたい。

 

本当は「やめて」とか、「やりたくない」とか言いたい。

 

それなのに、喧嘩するよりはマシと思い、まるで、天秤にのせて、どっちの苦痛の方が耐えられる的な計算をしているから、その時点で、明らかに自然じゃない。

 

もしかしたら、計算通りうまくいくかもしれないけれど、もしうまくいかなかったら、うまくいかないだけどころか、むしろ事を大げさにして、状況を悪化させてしまう可能性の方が高いくらい。

 

自己犠牲側の家族は最初から明らかに嘘を持っていたし、アルコール依存性者側も、あ、実は嘘だったんだ、とか嫌々だったんだとかなれば、余計に傷つく。

 

で、アルコール依存性者の場合は、この、「傷つき」がめちゃくちゃ敏感に意味を持つ。

 

そして、抱えきれない痛みをかなりの確率で、家族に対して、爆発させる。かなりの確率でね。

 

***

こういう自己犠牲的な行動は、むしろアルコール依存性者をよく理解した時の方が起こりやすい。

 

次に来ることが、もう大体分かってくるから、先手、先手で、対策を講じようとする先の行動だから。

 

でも、その時点で既に支配権はアルコール依存性者の手の内にもうある。アルコール依存性者の出方を予測して、冷静さを欠いた自己犠牲的な行動に走っているのだから、もう勝負がついちゃっている。

 

だから、自分が偽善と、嘘の自己犠牲に我慢ならなくなったり、バカバカしくなって、不用意に冷静さを欠き、むしろ今度は自分から攻撃をしてしまう羽目になるくらいなら、最初から愚かで嘘のある自己犠牲的行動なんてしない方がいい。

 

とりあえずとその場の流れに流されて、一時的なことなかれ主義から、自分を厳しく制した方がじつは楽だったりもする。

 

まだ冷静さがちゃんとある時に、こうして自分が望んでいないことをして、私の幸せと時間を安売りしても、問題の解決どころか、むしろことを悪化させてしまうかも…とどこまでも謙虚になること。

 

自己犠牲的な行動云々で、相手をどうこうできると思って、行動し続けていた傲慢で愚かな私にばーかと言ってやりたい。

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