喜んでできないこと全てやめました。
私が以前、アルコール依存症者の世界にどっぷりと使っていた頃は、
完全に偽善者の振る舞いでした。
前回の記事(私さえこれをすれば… - Nouti-アルコール依存症の家族)でも書きましたが、基本やることなすこと、心の中で嘘ついていたです。
ことを荒立てたくないから、表向きは、まあまあなんとかやっているけれど、
心の底では腸が煮えくり返っているなんてこと、日常茶飯事でした。
こういうことが続くと、私も忍耐の緒が切れて、いずれブチ切れます。
これを繰り返していました。
だから、本当に週に1回?2回?は必ず爆発していたような気がします。
お互いに。
その度に、夫はドアを叩くわ、何かを投げつけるわで、よくものが壊れました。
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本当はしたくないけれど、している。
ムカつくけれど、やっている。
馬鹿だったな〜と思います。
偽ボランティアです!
そもそも、やるとか、やらないという行為の問題じゃなくて、
ひとつひとつのことに、「やってあげている感」満載な気持ちを抱いている、そこが問題だったとわかりました。
やっていることは別にそんなに大したことないはず。
お皿洗いかもしれないし、
食事を作ってあげることかもしれない。
ゴミ出しかもしれないし、洗濯かもしれないし、
どこかへの外出の付き合いかもしれない。
そんな、大げさな話でもないのに、
いちいちそういうことに、「やってあげる感」満載なのって、どうなの?と冷静になったら思います。
そんな毎日過ごしていても、楽しいはずがない。
そんな毎日を過ごしていたら、毎日、毎日が、奴隷状態です。
やっている行為の内容は奴隷でも何でもないのに、自分の気持ちが、自分をそうさせちゃっている。
だから、そんな状態で、色々なサポートをし続けても、
自分の心理状態にも悪影響だし、何より、依存症の本人に対して、悪化にしか効きません。
「心の中で・・・」と思おうが、もう全部出ているんです。
その心持ちが、態度に出ているんです。
依存症者には筒抜けです。
依存症者は、私たちが想像つかないほど、そういう目に見えない状況や、ちょっとした仕草、態度に敏感だから、全部読まれています。
夫が消えた途端について、ため息三昧で、羽を伸ばす・・・
そんな持続可能じゃない態度を続けても、何にもいいことがありませんでした。
今、していることが、
家事であれ、
セックスであれ、
休暇の外出であれ、
会話であれ、
喜んでできないんならやめた方がいい。
嫌な気持ちで、恩着せでやり続けても、どこかでパンクして、
全てマイナスにするんだったら、周りも迷惑。
もし、また自分に対して、「私はこんなに頑張っている」「こんなに辛い思いを我慢している」なんて思いが出てきたら、要注意。
だって、それは偽善になっている可能性大ってことだから。
そんな状態の時は、アルコール依存症者と、地獄のパレードに突き進みます。
やめた、やめた、そんな偽善。
歯を食いしばって、憎悪をメラメラ燃やしながらは、作り顔をするのをやめました。