アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

夫のお酒に振り回されなくなるまでの3段階

私がアルコールに振り回されなくなったのは、3つのステップから成り立っています。今回はその過程を紹介します。

1:【初期の頃】アルコールを必死で追いかける日々

私がまだお酒に振り回されていた頃、

夫の背後にはいつもアルコールが見え隠れしていました。

 

いつも疑った目で見ているんです。

だから、飲んでいようが飲んでいまいが、

もう私の目は、「一体、どこにアルコール潜んでるんやー!!」

と、血眼になって酒を探していました。

 

大袈裟じゃないんです。

目を光らせて、なんと、なんとあの大嫌いな「アルコール」一生懸命に探していたんです。

 

今思うと、なんであんな愚かなことを繰り返していたんだろうと思います。

大嫌いなものを、まるで宝物のように探す・・・理由はムカついているからです。思い通りにならないからです。

共依存は本当に正常な判断を失わせます。

 

2:【中期】結果オーライのスタンス

こうやっていつもアルコールを追いかけ続けたら、今度は疲れてしまって、飲んでいようがいまいが、本人からお酒の影響が出ていないなら、一旦よしとしようと思うようになりました。

 

だって、ムカついているのも、結局夫に対して・・・と言うよりは、こういう状況に自分がイライラしている自分に一番怒っていたりするんです。思い通りにならないのももちろん、私の思い通り(理想)に囚われちゃっているんです。どこまでも自分、自分で生きていると疲れちゃいます。

 

だから、飲んでいる行為そのものに、いちいち反応するのをやめて、本人がどういう状態であるかだけで判断するように変わってきました。

 

たとえ、たくさん飲んでいると思っても、本人が暴れることなく、まあまあ普通に会話ができ、特に問題なく過ごしているなら、一旦それでよしとするようになったんです。

 

もちろん、酒ビンは目に入っています。飲んでいることはわかっています。でも目の前の本人がまあまあ普通に過ごせているのに、いちいち喧嘩したいかのように、過去の問題(たとえそれがついさっきでも)を持ち出して、食事の雰囲気を悪くし、団欒タイムをぶち壊し、イライラさせるきっかけを作る理由はどこにもないと気づいたからです。

 

結果オーライのスタンスは、初期の段階に比べて、無駄な喧嘩や口論が半減し、効果を発揮しましたが、あくまで、結果が伴わない時は、相変わらず反応して、ギャーギャー怒っていたので、喧嘩はもちろん絶えませんでした。

 

3:【後期】飲んでいようがいまいが、私は幸せになる(段階あり)

そして、ようやく、本人がお酒を飲んでいようがいまいが、私はそれを本人の問題と切り離し、嵐の中でも心一つで幸せになることを学び始めました。

 

でも、今のように、完全に影響を受けなくなるのには、随分と時間がかかりました。その原因は、頭と心がすぐにはついてこなかったかっらです。

 

頭の中では、「いちいちアルコール依存症者に振り回されているなんてバカだよね〜自分の幸せは自分でつかみなさいよ!」的なことを言っていても、心では「なんでこんな目に遭わされないといけないの」とまだ怒っていたんです。

 

だから、「飲んでいようが今いが私は幸せになる」ことを、すごく表面的に、自分を偽ってやり始めてしまいました。

 

結局、自分が幸せにならなきゃ!だけが暴走しちゃって極端な行動になってしまいました。極端に無愛想だったり、極端に不親切だったり・・・「それくらい手伝ってあげてもよくない?」と思うようなことでも、「私の時間をそんな酔っ払いのために無駄にしない。」などと意固地になっていました。

 

無理やり感が強く、時に私の自己中心的な態度が前面に出過ぎて、それが原因でやっぱり喧嘩していました。

 

そんな時期を過ごして、ようやく、私にとって、幸せいうのは、何も「あなたのことなんて知らないー私は自由にさせてもらうね。」ではないことにちゃんと向き合い始めました。

 

結局、私は彼のことを愛することにも大きな幸せを感じていたんです。

 

だから、アルコールに振り回されない目的で、単に好き勝手に生きて、結婚しているのかいないのかわからないような、ただの同居人になることは、一時的には前よりよくなっても、後味の悪い気持ちが残りました。

 

アルコール依存症で私を苦しめて・・・」と言う前提を持ち続けて行動すると、やっぱり無理があります。だって、そこには憎悪や嫌悪を持ち合わせているのだから。

 

そこで、この前提を取り除いて、自分がしてあげたいこと、貢献できているなと思うこと、助けたいことを「自分のため」にやるようになりました。

 

寄付や募金と同じで、それをするのは、もちろんそのお金が用いられて問題解決に役立って欲しいという気持ちはあるけれど、それと同じくらい、私は貢献できている、私は役に立っている、私の存在に意味があるという自己肯定感を高めてくれる作用があります。

 

そして、こうやって自己肯定感がぐんぐん高まると、とっても幸せになるんです。

 

だから、意地悪でしてあげていなかったお弁当作りも、夫のためと言うより、「私がしたいから、協力したいから」するようにしたり、部屋の掃除もしたり、彼が少しでも休めるように色々と工夫するようにしました。

 

これは、初期段階の頃と全然違う目的なんです。犠牲から協力(協同)に変わっていきました。

 

共依存になっていたり、アルコールに振り回されている時は、たとえ本人のために何かしてあげると言っても、心のどこかに「私さえこれをすれば・・・」とか、アルコール依存症による問題を手伝ってあげよう、隠そうみたいなアルコールを意識していることから派生する行為になりがちです。

 

そういう段階では、まだまだ自分によって、この病気が「なんとかなる」と思っている証拠です。そういうふうに思っていると、振り回されるループから抜け出せません。

 

そうじゃなくて、自己肯定感をあげる貢献の意識でやると、全然気持ちが変わってきます。(ただ注意点は、アルコール依存症の問題による結果の後片付けは一切しないようにします。例えば、ごはん茶碗を叩きつけたり、窓ガラスを割ったり、嘔吐して床を汚したり・・・これらは本人の回復のために、本人が向き合うものです。)

 

そして、私も私らしさを自由に出したり、私が本当にしたかったことをやってみようという力も、この貢献の意識は助けてくれるんです。

 

様々な段階を経たけれど、私はお酒に振り回されなくなった今に感謝しています。夫の問題から自分は独立したけれど、彼を見放したのではなく、心の中でいつも彼の完全回復への立ち直りの力を信じています。

 

信じることは私ができる選択だから。

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