被害妄想をアピールされた時の対応
今回の記事は、アルコール依存症者に被害妄想をアピールされた時の対応について書きます。
人は少なからず、被害妄想の面は持っていますが、アルコール依存症者の被害妄想は、その病気の症状の代表例とも言えるくらい、よく遭遇します。
そういうもんだ、と知っておかないと、この被害妄想に苦しみ、悩み、不用意な喧嘩を生み出すこともあります。
そんなエネルギーの消耗を少しでも避けるために、アルコール依存症が言葉なり、メールなり、態度なりで、被害妄想をアピールしてきた時の対応について、書きます。
原則、応答しない。流せるものは流す。
アルコール依存症者の被害妄想はある日突然、なんの前触れもなくやってきます。あれ?さっきまで仲良くしていたじゃん・・・と思いきや、その数時間後には、あれやこれや「やらされ感」や「迷惑をこうむった」などなど、色々なことにこじつけて言ってきます。
基本は、無視です。
こういう話がきたら、独り言とかつぶやきと捉えるようにしています。でないと、後から大変なことになるからです。
アルコール依存症者の心は、綺麗にうまくオブラートで包まれていません。ある意味では傷だらけで、繊細で、敏感です。
ちょっとしたことがあれば、普通の人なら心の中で「チェっ」って思うだけで済むようなことでも、アルコール依存症者は、声を大にして責め立てることもあります。もちろん、そうしないこともあります。でも、いつも緊張状態なので、何が引き金になるかなんて、全く検討がつきません。
だから、たとえ、家族側に一切の非がなくても、ちょっとしたことや気分の変化や体調の良し悪しで、過去の出来事からこじつけて、被害妄想をアピールしてきます。
でも、そのアピールは一時的な発熱のようなものです。何もしなければ、基本的に自然に治ります。
だから、どれだけその言葉が理不尽だろうが、意味不明だろうが、図々しかろうが、頭にこようが、基本はさらっと水に流すことがベストです。
「こう言ってやろう」・・・それが罠
でも、人間とは言われれば、言い返したくなるもの。ついつい、頭の中では、こんな被害妄想アピール、ほっておけばいいんだ!ってわかっていても、つい、「もしああ言われたら・・・」「もし責められたら・・・」なんて、起きてもしない「もし」を想定し始めて、勝手に脳の中で想定問答を作ってしまいがちです。
「こう言ってやろう」・・・と自分の中で、いかにもまっとうな回答を用意してしまいます。これがとっても罠なんです。
私はこのことで何度も失敗しました。言われる筋合いのないことで、被害妄想をアピールされたことにカチンときた私は、こう言い返してやろうと、【まともな】回答を頭の中で作ってしまいました。(もちろん、心の中では、こんなことで言い返さない、こんな言い分は聞き流そう、無視しようとは思っているのに。)
こうやって、罠にまんまとはまってしまうと、もうあとはコントロールできません。回答が用意されているのだから、隙あれば、すぐに言ってしまいます。
どれだけ、頭の中で、無駄な喧嘩はしない、聞き流そう、とか決めていても後の祭りです。回答を用意しちゃう段階で、もう言いたくて、言いたくて、仕方ないんです。相手に一撃を受けさせてやりたくて仕方ないんです。そういう意味では、すでに戦闘態勢なんです。
そんな状態では、結果は見えています。
不要な喧嘩、口論、暴言の始まりです。アルコール依存症者との取っ組み合いは、いつも、きっかけは些細なことが多いです。ささいなことであるのに、問題を大きくしてしまうのは、他でもない、非アルコール依存症者なんです。
まともな弁解を期待しない
そもそもの問題の始まりは、アルコール依存症者の異常な言動、対応に対して、真正面に向き合おうとしていることです。
被害妄想アピールにキレてしまうのは、自分にそのような態度をとっていい理由はない、そんなことを言われる筋合いはないと思っているからです。
だからムカつくんです。
なぜ?
自分がかわいいから。だから、自分に❌って言ってくるのがムカつくんです。大したことでもないのに、徹底的に自分の正しさを否定するために、長きに渡る戦争を選びます。
これは、愚かなことです。私はその愚かなことを何度もしていました。
アルコール依存症者の一時的な衝動に対して、いちいち真面目に付き合っていなくていいんです。アルコール依存症者に対して、真面目に付き合うなという意味ではなく、アルコール依存症による症状がもたらす突発的な言動や行動、一時的な酩酊に対してです。
確かにその瞬間は、理不尽で腹立たしいかもしれないけれど、「翌日になったら、なんだっけ?」というくらい、とるに足らないようなことに、いちいち自分のエネルギーを使っていなくていいわけです。
被害妄想をアピールされたら・・・
ムカつくけど、さらっと流す。この繰り返しをしていると、心の筋肉がどんどん強くなり、本当にできるようになります。