アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

アルコール依存症者を理解できない時に考えること

今回は、アルコール依存症者の行動や言動に全く理解ができず、未来が見えない時に考えることについて書きます。

 

まずはじめに、アルコール依存症者の行動は、非アルコール依存症者には、理解できません。理解できたと思ったら、それは罠で、実は全然理解できていないことが多いです。中途半端な理解や決めつけは、むしろ悪化に作用する方が多いので、基本スタンスはいつも「アルコール依存症は理解できない」と思っていた方が無難です。

 

精神科医がもっともなことをいようが、どうやったら治るかの手順が書かれた本があろうが、参考程度に過ぎません。

 

心の問題、脳の問題、精神の問題、霊の問題は、どこまでも深く、人間の理解の範疇に留まることじゃない・・・と一見諦めのように見えて、そう理解を深めることが、むしろスタート地点に立てることがよくあります。

 

アルコール依存の問題は、アルコール依存症について理解しようとすれば、するほど理解できなくなるという不思議な構図にもなっているので、肩の力を抜いて、そして早急に答えを出すことから手を引いて、時間の流れとそれに伴う自分の変化に集中した方が賢明です。

 

アルコール依存症者が抱えている痛みへの理解

さて、前置きが長くなりましたが、アルコール依存症者を理解できない時というのは、悩んでいる時です。

 

何に悩んでいるのかというと、「どうやったらこの症状が治るのか?」「どうしたら幸せになれるのか?」「一体何が問題だっったんだろう?」「彼・彼女はどうしてああなってしまったんだろう?」などなど答えが一発で出ない難題を頭の中に投げかけては、ぐるぐると思い巡らせています。

 

そんな時、まず何よりも知らなければならないことは、アルコール依存症者は相当大きな痛みを抱いているということです。

 

ここでポイントなのは、『相当大きな』です。お酒漬けと不摂生が転じて、依存症になってしまったと片付けて、相手に憎悪の目を向けるのではなく、アルコールなしでは生きていけないほどに、アルコールを飲まなくてはいけない心理状態を抱えてしまったという事実に注目します。

 

この時に、間違っても、自分に置き換えて、「私は、誰々の死も乗り越え、何々の試練にも立ち向かい・・・」などと比較はしません。全く同じことがそれぞれの人に起きても、人の受ける反応は全然違うからです。

 

人はみんな違う・・・という当たり前の原則をなぜか、アルコール依存症者に対しては忘れがちです。

 

あることにおいては、私には鉄のような心があって、私の夫は、シャボン玉のような心を持っているかもしれません。しかも、何かによって、私の夫はシャボン玉のようになってしまったと考えるよりかは、彼は生まれながらにして、シャボン玉のような心を持ってしまったと考える方が賢明です。低い鼻、細い目と同じように、心(反応の仕方)だって、人それぞれ特徴と個性があります。

 

目に見えないわかりにくいものだからと言って、自分や人のものと比較して裁くのは悩みをますます深めてしまいます。

 

もし、アルコール依存症に、繊細とか敏感とかいう言葉を使うなら、(実際にアルコール依存性になる人はこういう人が多いです。)それは、悪いことでも何でもなくて、ただその人の個性と受け入れます。

 

その上で、その人に、相当悪いことが起きたんです。悪いことというのは、彼や彼女の心にとって悪いことです。

 

それが何かを知ろうとするのではなく、そういうことがあったんだと理解することができます。多分、非アルコール依存症者が想像している辛いことや悲しいことの1000倍くらい大きいものと理解した方がいいでしょう。

 

人それぞれ受け止め度合いが違うので、出来事だけに注目しても、アルコール依存症者を理解できません。

 

ポイントは、どこまでも「アルコール依存症者に【とって】、相当辛いことである・・・」ということなんです。

 

そうわかると、「そんなことくらい」とか「またやり直せばいいじゃん」とかそんな発言が軽々しくできなくなります。相手を自分視点で考えて、自分側に巻き込もうとしても意味がありません。こればかりは、本人がその痛みと向き合い、乗り越えていくしか術はありません。

 

悲しさや辛さを紛らわすアルコールがいつしか依存症に変わり、今度はそれによって、更に悲しみや辛さをもたらしている・・・確かに事実はそうですが、それも含めて、本人が乗り越えていかなくてはなりません。

 

そのことを深く理解することによって、少しずつアルコール依存症者に対する接し方が変わっていき、あくまでも個人の尊重する接し方は、多かれ少なかれ、アルコール依存症者にとってプラスに働き始めます。