「どうでもいいこと」を「どうでもいいこと」にする
アルコール依存症者がアホみたいな行動をしている時、
バカみたいな言動をしている時、
よろよろになりながらもお酒を買いに出かける時、
依存症者本人が、自分にムカついて暴れている時、
こそこそと隠れて、言い訳ばかりしている時、
あいつはダメ、こいつはダメと他の人とか状況の悪口ばかり言っている時、
子供みたいに甘えん坊で何にもできない時、
吐いて、漏らして、家を汚す時、
飲んでいる事実をごまかそうとした時、
何やってるの?人としてないわ〜とか、ありえないわ〜とかいちいち反応です、放置です。
反応したら負けです。
理屈で考えたら負けです。
どうで考えても相手がおかしいとか考えなくても大丈夫。
自分が正しいか、相手が間違っているかも考えない。
反応すること、そのものから自分を離脱させます。
反応したら負けだからって、試合場にいたまま歯を食いしばって、
しかめっ面することもしません。
試合場から出るんです。
出て、料理でもしたり、掃除をしたり、自分の友達と会ったり、仕事をしたり、
読書をしたり、自分のしたいことをします。
おかしい人が繰り広げるパフォーマンスの相手になるには、自分もおかしい人にならないとやれません。
自分まで一緒になって、堕落するって普通にアホすぎます。援助どころか、一緒に共依存になるのがこのパターンです。
自分も惨めになって苦しむというのは、自己犠牲でも何でもなく、美しくも、えらくもありません。
良いことのために、我慢したり、自己犠牲するのは価値があるかもしれません。
悪いことのために、バカなことのために、我慢したり、自己犠牲するのは、自分の安売りであり、一緒に地獄の階段に向かって下るという、誰も幸せにならない選択です。
Noutiは過去、こんな選択をずっとしてきました。だからしたくなる(何か一言、嫌味でも言いたくなる)気持ちは百も承知であえて書いています。
アルコール依存症者がしているバカみたいに見えることは、どうでもいいことです。
「どうでもいいことの訳がない!これによって私は苦しんでいる!」と叫びたくなる世界は何だか解決の糸口があるように見えて、もっと泥沼です。実は地獄への入り口だったりします。
どうでもいいこととして、初めて、地獄の入り口に立たずに済みます。その代わり、自分は自分でなすべきことをして、自分は自分の幸せを守ることができます。
「どうでもいいこと」は「どうでもいいこと」にして、今日も良い方向に向かって歩みます。