やめたくてもやめられない!?
アルコール依存症は病気?
アルコール依存症は、やめたくてもやめられない病気とよく言います。
でも、周りの家族はたまったもんじゃないですよね。
やめたくてもやめられない!?やめろよ!って思います。Noutiもずっと思っていました。
アルコール依存症は病気だと自分に言い聞かせて、「病気だから仕方ない」と思い続けることはかなり苦しいです。
心のどこかで、「じゃあ、病気ならなんでも許されるのか!?」って思いが出てきます。
公平性も何もありません。苦しい家族は、まるで病気になったもん勝ちのような世界に押しつぶされてしまいます。
理不尽な世界の中で、「それでも病気だから。」と思い続けるのは、本当に辛いです。
だから、アルコール依存症は「病気だ。」と分かることで、自分が楽になるならそれでいいですが、「病気だ。」とわかっても、辛いなら辛いで、何も飲み込もうとせず、自分の気持ちに正直になればいいんです。
それを、「病気なのに理解できない私。」「病気とわかっているのに責めてしまう私。」と自分がまるで病気と理解できない自分を責めてしまうと、いつまで経っても苦しいです。
「病気であることはわかった。でも辛い。」でいいんです。
Noutiもそのように開き直った過程を通りました。
やめたくてもやめられない!?
アルコール依存症が病気と言われる理由の一つに、「コントロール障害」があります。要は、「したくてもできない。」「したくなくてもしてしまう。」というコントロールができないことです。
だから、限度を超えて飲みます。
借金しても飲んだり、ものを壊しても飲んだり、仕事を失っても飲むことは、明らかに限度を超えています。コントロールできてないんです。
ただ、人間誰だって、多かれ少なかれコントロールできないことは沢山あります。アルコール依存症者だけ病気呼ばわりされていますが、Noutiだって、「したいこと」できていません。「したくないこと」しています。
軽度と言えば、軽度かもしれませんが、ある意味では、Noutiもコントロール障害です。病気と言ってくれる人がいるなら病気です。
コントロールできない理由
なんでこんなことが起きるのか?人間バカじゃありません。自分にとって、本当にしたいことはします。本当にしたくないことはしません。だから、コントロールできないように見えて、実際は、「したいこと」ができない理由がちゃんと存在して、「したくないこと」をしてしまう理由もしっかりあります。
わかってやっています。
意識してやっています。
膝の反射じゃないんだから、やかんを触りそうになって引っ込める手じゃないんだから、ちゃんとわかってやっているんです。
気づいたら、コンビニにいたんじゃなくて、酒が飲みたいと思って、コンビニに行っています。
自分で選択しているんです。自分で、まあ、「それくらいいいや。」とか、「これは目を瞑る。」とかしているんですね。
アルコール依存症者は、飲んでないとやってられない「理由」があり、その理由が本人の中で解消しない限り、いつまで経っても飲みます。
だから、やめたくてもやめられない!?ではなくて、やめる必要がないからやめないんです。
本人の「理由」のためには、やめない方が好都合だから、飲み続けるんです。
理由は様々です。痛みに直面することになるかもしれません。自分の過去と決別しなくてはいけないかもしれません。誰かを赦さないといけないかもしれません。
様々です。
でも、その「理由」に向き合うことは、あまりにも大きいことです。アルコールが離れて、現実世界と直に向き合うことは彼らにとって恐ろしく、あまりにも大きいことです。ちゃんと、飲んでいる「理由」があるんです。
結局は、やめたくないから、やめないんです。
病気だって思い込まなくていいんです。本人は、やめたくないから、やめないんです。