夫の問題を明らかにしたい気持ち
Noutiが、アルコール依存症者の夫によくやっていたことの中に、
明らかにする
ということがあります。
どういうことかというと、夫の問題、ミス、バカな行動などなど、色々なトラブルが起きるときに、一体全体問題は何で、何が良くなかったのかを、
明らかにしよう
とするんです。
もう、当たり前ですが、こんなことアルコール依存症の当事者とまともにやろうとすれば、会話はほぼ崩壊します。
今思うと、何でNoutiが、この「明らかにすること」にこだわっていたかというと、結局のところ、
あなたはめちゃくちゃ問題ありだよって自覚してもらいたかった
だけだと思います。
それはつまり、
夫がいかに問題を抱えていて、ダメであるか
を自覚してもらいたいと同義です。
でも、普通に考えて、そんなこと知りたい人いる?って感じです。
自分がいかにダメで、問題だらけかを知りたい?ってなった時、そんなの気持ちいいわけないですね。
だから、夫に抵抗するなというのが、そもそも無理な話です。
夫がブチ切れて、暴れるのも当然といえば当然でした。
アルコール依存症にせよ、別にそうでなくても、何か自分に問題がある時、
相手からいちいち責め立てられなくても、わかっている場合も多いです。
むしろ、めちゃくちゃ分かっているからこそ、逃げようとしているんですね。
だからこそ、他人から責め立てられて、どこか支離滅裂なことを言ったり、ごまかしたり、自分の問題を見ないようにしたり・・・しちゃうのだと思います。
相手から明確にされるもっと以前に、既に当人がめちゃくちゃ問題を認識していたりもするんですね。
明らかに・・・なんて余計なお世話もいいとこです。
家族が明らかにしようとすればするほど、それって、まるでかさぶたを作ろうとしている皮膚をこじ開けるようなもので、傷口をさらにぐちゃぐちゃにしてしまうんですね。
わかりたい
明らかにしたい
という欲求の所有者は、Noutiでした。
Noutiの欲求を相手を使って、実現させようとする・・・
まさに夫に依存していたし、境界線の侵入でした。
わかろうにもわからないことだってあるんだよ、
明らかにしようにも明らかにできないことだってあるんだよ、
とか、そういう話じゃなくて、
そもそも明らかにするとか、その行為そのものが、御門違いってことでした。