自分に都合のいい解釈をすること
自分に都合のいい解釈をすることには2種類があると思います。
それは、他人を変えるためと、自分を変えるための2種類であり、そこには大きな違いがあると思います。
夫が飲んでいた頃、私はこんな自分に都合のいい解釈をしたことがありました。
結婚すれば変わるだろう・・・、
私が家を出れば変わるだろう・・・、
私がここまで辛いということが分かれば変わるだろう・・・、
などと、自分に都合のいい解釈をよくしていました。
その目的は全て、「夫を変えること」でした。
人を変える、人をコントロールしようとする、私の本来力が及ばないことに対して、都合のいい解釈をした内容は、ことごとく裏切られました。
事実として、
結婚しても何も変わらなかったし、
私が家を出て行っても何も変わらなかったし、
私がここまで辛いとアピールしても、何も変わりませんでした。
変わらないどころか、むしろ悪化しました。
だから、自分に都合のいい解釈をすることは、「アルコール」と同じで、その瞬間、一瞬、その時をやり過ごすには、自分にとって快感物質を与えてくれるものであり、自分の行動を後押ししてくれるもの(例えば、結婚をすること、家を出ていくこと、不機嫌になることを自分に肯定できる・・・行動の起爆剤にしてくれる。)であったけれど、本当に一瞬だけでした。
あとから、コントロールできないものに対して、どれほど立派な理由づけを、自分の頭の中で考えても、全く意味のないことだと思い知らされました。
一方で、物事を、前向きに考えること、自分の気持ちを盛り上げるために、これから未来をよりよく進んでいくために、自分に都合のいい解釈をすることは、力になりました。
事実、アルコール依存症という病気がきっかけになり、地獄みたいな生活を経験したからこそ、本気で自分に向き合おうと思ったし、自分を成長させたいと思い、日々取り組んでいますが、これは、アルコール依存症というものに出会えたからこそと思っています。
こういう風に解釈するの目的は、自分自身をより良くすることであり、自分自身という、コントロールできるものに対象をおいていますから、解釈自体が力になります。
自分に都合のいい解釈をする時には、その裏にある目的・・・つまり・・・結局そのように解釈することで、アルコール依存症を変えようとしているのか、それとも自分自身を変えようとしているのか・・・ここに注目すると、良い解釈なのか、もしくは毒にすらなりうる解釈なのかが見えてくるなと思います。