アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな」

何年か前に、自殺に関する話の講演を聞きました。その際、70代後半くらいの講師の先生が、自殺願望のある患者に対して、まず思うのは、

 

「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな。」

という思いだと言っていたのをふと思い出しました。

 

「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな。」
と思うことで、生まれてくるのは、相手への尊敬だということ。

 

そして、相手への尊敬の念を持って、初めて人と接していくと話されていました。

 

アルコール依存症で苦しんでいる真っ最中は、絶えず混乱状況の中にいます。

だから、落ち着いて物事を考えたり、別の角度から考えてみたり・・・なんていう余裕がなかなか生まれてきません。

 

それこそ、アルコール依存症と同様に、アルコール依存症の家族も、「ただ生きる」ことに必死です。

 

「ただ生きる」ことに必死のはずなのに、次第に、「生きる」ことに不満を覚え、怒りを覚え、そのやり場のない怒りや不満を、アルコール依存症当事者にぶつけたり、アルコール依存症は、家族にぶつけたり・・・そんなことを繰り返してしまっています。

 

混乱状況の中では「生きているだけでいい」的な考えになるのはとても難しいことです。

 

でも、難しいことだけど、ここに全部の答えが隠されているような気がします。人生のゆとりも平安も穏やかさも、希望も幸せも、この一見簡単なようにも見えて、実はとても難しい「生きているだけでいい」的な考えに隠れているような気がします。

 

「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな」

は、その人が何をやってきたとか、どう過ごしてきたとかに関係なく、ただ、今も心臓が動いて、生きていらっしゃる・・・それだけに全ての敬意を込めているんだと思います。

 

人として、「生きていることが肯定される」のは、最大の安心でもあり、慰めでもあり、受け入れでもあり、愛なんだろうなと思います。