「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな」
何年か前に、自殺に関する話の講演を聞きました。その際、70代後半くらいの講師の先生が、自殺願望のある患者に対して、まず思うのは、
「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな。」
という思いだと言っていたのをふと思い出しました。
「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな。」
と思うことで、生まれてくるのは、相手への尊敬だということ。
そして、相手への尊敬の念を持って、初めて人と接していくと話されていました。
アルコール依存症で苦しんでいる真っ最中は、絶えず混乱状況の中にいます。
だから、落ち着いて物事を考えたり、別の角度から考えてみたり・・・なんていう余裕がなかなか生まれてきません。
それこそ、アルコール依存症と同様に、アルコール依存症の家族も、「ただ生きる」ことに必死です。
「ただ生きる」ことに必死のはずなのに、次第に、「生きる」ことに不満を覚え、怒りを覚え、そのやり場のない怒りや不満を、アルコール依存症当事者にぶつけたり、アルコール依存症は、家族にぶつけたり・・・そんなことを繰り返してしまっています。
混乱状況の中では「生きているだけでいい」的な考えになるのはとても難しいことです。
でも、難しいことだけど、ここに全部の答えが隠されているような気がします。人生のゆとりも平安も穏やかさも、希望も幸せも、この一見簡単なようにも見えて、実はとても難しい「生きているだけでいい」的な考えに隠れているような気がします。
「今日まで一生懸命、生きてらしたんだな」
は、その人が何をやってきたとか、どう過ごしてきたとかに関係なく、ただ、今も心臓が動いて、生きていらっしゃる・・・それだけに全ての敬意を込めているんだと思います。
人として、「生きていることが肯定される」のは、最大の安心でもあり、慰めでもあり、受け入れでもあり、愛なんだろうなと思います。